名フィル寺尾洋子様 Part3「親が夢をみるって〜想いは超えていく」
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2.2016
ヒノヨコ:そして、子どもオーケストラ、オーディションの結果は?
寺尾さん:結果は合格でした。
ヒノヨコ:うわー、素晴らしいですね!
寺尾さん:今思えば「名古屋青少年交響楽団」は
とてもレベルが高い子どもオーケストラだったようです。
入ってからが大変でした。
ヒノヨコ:そうなんですか?交響楽団での様子はいかがでしたか?
寺尾さん:その前に今日は
これをお見せしようと思って・・・。
持ってきたものがあるんですよ。
ヒノヨコ:なんでしょう?
うわー、小さなヴァイオリン!本物ですか?
寺尾さん:はい、分数ヴァイオリンですね。
十分の一の大きさです。
母が結婚する前に将来の赤ちゃんにと手に入れたものなんです。
ヒノヨコ:えっ?お母様がご結婚される前に?
将来の赤ちゃんにですか?
そのお話もう少し詳しくお伺いしたいです!
寺尾さん:母はサラリーマン家庭の四人兄弟の長女で
高校卒業と同時に就職しました。
しかしどうしても音楽大学に入りたい、
もっとヴァイオリンを習いたいという夢があり
7年間働きながら、学費を貯め、
音楽大学に入るために勉強に励んだのです。
ヒノヨコ:7年間働いて学費を?
寺尾さん:はい。
ヒノヨコ:それはすごいことですね!
寺尾さん:働いている時に母は、
父と出会ったんです。
ヒノヨコ:わー、お父様とお母様の出会い?
寺尾さん:母が勤めていたところに父が転勤でやってきたそうです。
ヒノヨコ:それは素晴らしい出会いですね。
寺尾さん:まあ偶然ですけどね。
ヒノヨコ:いえいえ。
先ほどのお話ですが、
お母様は7年間働きながら授業料を貯め、
受験勉強をされたということですか?
寺尾さん:はい。それで短大に進学しました。
ヒノヨコ:わー、素晴らしいですね!意思を貫かれたということですね。本当にすごいことです。
寺尾さん:母は学生の時に将来の赤ちゃんのためにと
ヴァイオリンを手に入れたようなのです。
ヒノヨコ:お母様の想いが込められたヴァイオリンですね。
まだ見ぬ赤ちゃんのために。
寺尾さん:そうなんですよね。
ヒノヨコ:すでにお父様とは出会われていらっしゃったけれど。
はい。
お母様凄すぎます!いや〜、お父様との出会いもやはり偶然ではなかったのですよ。お父様との出会いがあり、それで可愛い赤ちゃんにヴァイオリンを持たせたいという想いが募ったのかもしれませんね。
寺尾さん:どんな経過でそういう気持ちになったか定かではありませんが、私が生まれる前からこのヴァイオリンが準備されていたのは確かです。ヴァイオリンの先生にしようと思っていたようです。
ヒノヨコ:ヴァイオリンの先生ですか?でも実際はプロのオーケストラの一員になられました。洋子さんが名フィルに合格された時、お母様はどんなご様子でしたか?
寺尾さん:母は自身もそうですが、演奏家になるという発想はなかったと思います。ですから青天の霹靂というか、思ってもいなかった娘の進路に、それは舞い上がらんばかりに喜んでくれましたよ。ヒノヨコ:そうだったのですね。プロのオーケストラのメンバーになるためには、実力もさることながら、きっといろいろなタイミングも必要だと思われますし・・・。お母様の想いや願いが、
洋子さんが生まれる前から、いえもっと以前からあって
それが繋がっていたってことですね。いや、お母様の夢を叶えられたってことですよね。
なんだかものすごい感動が込み上げてきました!
この小さなヴァイオリンを手にした時のお母様の嬉しそうな表情が
目に浮かびます。
寺尾さん:そして短大で勉強した母は、卒業と同時に父と結婚し、次の年に私が生まれました。
ヒノヨコ:うわー、卒業してからはスピード感満載ですね。そしてその赤ちゃんは
お母様のヴァイオリンやご自宅でのレッスンを全身で聴き、
その小さなヴァイオリン手にして、弾けるようになっていかれたのですね。
寺尾さん:弾けるというかまあ、はい。
そして子どもオーケストラのオーディションにみごと合格されました!
寺尾さん:実はそこからが大変だったんです。
母と私の「ああ、勘違い」が白日の下にさらされていきます。
まず楽譜が読めないことが発覚します。そして肝心のヴァイオリンの方も。
ヒノヨコ:え?オーディションで弾かれた曲、ザイツやヴィヴァルディは楽譜を読まれていらっしゃらなかったんですか?
寺尾さん:音で覚えて、楽譜はほとんど読む習慣がありませんでした。それでなんとか弾けてしまっていたので。
ヒノヨコ:音だけですか?耳だけなんですか?
お恥ずかしながら素人なので下手な質問で申し訳ないのですが
オーケストラの方々はみなさんそうなんですか?
耳だけである程度は弾けてしまうのでしょうか?
寺尾さん:耳が良いのはおそらく全員でしょうね。
耳だけで音がとれて曲が弾ける人は、
アマチュアでもいくらでもいると思います。
でも、楽譜が読めるのは大切だと思います。
音と音名を繋げること。
ヒノヨコ:なるほど、楽譜が読めるということがとても大切なのですね。言語でいうと
話せるだけではなくて
文字が読める状態ということですね。
音声と文字がちゃんと繋がって本が読める状態みたいなことでしょうか。
寺尾さん:そうですね。
楽器を学ぶと同時に
楽譜が読めるようになっているのが理想的だったんですが、
それを5年生までしていなかった。
それからようやく楽譜を読むことを学んでいったのです。
ヒノヨコ:それまでにヴァイオリンの他に何か別の楽器を習われたことは?
寺尾さん:ピアノを3歳から小学2年生まで習っていましたが
こちらもきちんと楽譜を読むことなくなんとなく弾いていたようです。
ヒノヨコ:ピアノを習われていらっしゃったのですね。えっ?こちらもなんとなく弾けてしまった・・・?
もしかして、ピアノも聞いただけで弾けたとか・・・。
寺尾さん:まあ学校で頼まれる伴奏などは誰かが弾いているのを聞いたら弾けてましたね。
でも小学3年生になる時に引越してからは全くの自己流で弾いていたので
ピアノも高校に入ってまた1からという感じで本当にたいへんでした。
ヒノヨコ:そこからはたいへんな努力されたということですね。
寺尾さん:まあ練習はしました。
ヴァイオリンも青少年交響楽団の先生について
本格的に習い始めたのは本当に5年生からなんです。
ヒノヨコ:本格的に習われたのは本当に5年生からだったのですね。
寺尾さん:はい。
いままで弾けていらっしゃったから
その上に積み重ねていかれたのでしょうか?
寺尾さん:いえ、また逆戻りで簡単な曲、それこそ教本を1からやりなおしました。ヒノヨコ:最初からですか?
寺尾さん:1からです。
ヒノヨコ:そこからのご努力はたいへんなものだったのでしょうね。素晴らしい才能と乳幼児期の環境、
その上に努力を積み重ねて
実力をつけられたということですね。
そして高校は音楽科を受験され合格。
その後音楽大学も合格
それから名フィルのオーディション
と次々合格されました。
合格に向けては
やはり目標を持ってそこに向かって努力をされるという感じなのでしょうか?
寺尾さん:練習はもちろんしますが、私の場合は努力とか実力とかよりは
運(運命?)のようなものが大きい気がしますね。
本人はあまり音楽やヴァイオリンに執着していなかった、というより少し逃げてところがあるので。確かに勘の良さとか器用さはありましたが。
ヒノヨコ:勘の良さと器用さが身についているのは、
生まれつきの才能ですね!
そしてやはり
乳幼児期の環境が大きく影響しているような気がいたしますが。
その上に練習。
そして運!タイミング良くチャンスに出会える運・・・運命?
生まれる前から決まっていた宿命とも言われるもの。
生まれる前から決まっていたこと
それが寺尾洋子さんにとっては
まさに音楽だったのですね。
寺尾さん:そうかもしれませんね。
ヒノヨコ:お母様がヴァイオリンをもっと習いたいという強い想い。
生まれる何年も前から準備されていた赤ちゃん用のヴァイオリン。
人はもしかしたら、自分の意思よりずっとずっと深い誰かの想いを受け継いで
生きているのかもしれない・・・。
青少年交響楽団の合格、プロのオーケストラへの道の陰には
こんなに深い深い想いがあったなんて全く想像していませんでした。
寺尾洋子さんの音楽への道〜
音楽の才能を認められ、高校の音楽科、
音楽大学への合格、ヴィオラへの転向
そしていよいよプロの世界へ。
そこでの様子は?
プロの音楽家の寺尾さんから
子育て中のお母様お父様への
音楽に関するお言葉は・・・?
まだまだ続きます!
「先輩ママに突撃インタビュー」目次
Part1:プロフィールの謎
Part2:習わぬヴァイオリンを弾く
Part3:親が夢をみるって〜想いは超えてゆく
Part4:人と人・音と音
Part5:保育園6年学童6年お父さん
名古屋フィルハーモニー交響楽団
ヴィオラ奏者 寺尾洋子さん
<PROFILE>
お母様の手ほどきで4歳よりヴァイオリンを始める
愛知県立明和高等学校音楽科から、
京都市立芸術音楽大学音楽学部器楽科に進学。
卒業と同時に名古屋フィルハーモニー交響楽団に入団。
ヴァイオリンを藤本明子、堀部純子、ヘリー・ビンダー、
ヴィオラを平田泰彦、西岡正臣、ジョン・グラハム、
室内楽を岩淵龍太郎、岸邊百百雄、黒沼敏夫の各氏に師事。